この度栄誉ある湖医会賞を賜り、滋賀医大・湖医会関係者の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
昭和56年に一期生として滋賀医科大学卒業後、故郷である名古屋に戻りました。専門科をどうしようかと考えた時に、国家試験勉強会グループで解剖系・整形担当を任され、滋賀医大整形外科医局の先生方が明るく楽しくチーム医療を行っている印象で整形外科を志望しました。
その後名古屋大学整形外科に入局し、当時まだポピュラーではなかった関節鏡の治療にかかわらせていただき、1986年に設立された(公益財団法人)スポーツ医・科学研究所への勤務を命ぜられました。そこから四肢関節とスポーツ医学への道に進むことになりました。
愛知県のプロスポーツチーム、実業団、学生スポーツ大会など週末は出張帯同が多く、翌週初めは試合での負傷選手の検査、診察、手術に明け暮れ、家族からは「我が家は母子家庭」と揶揄されました。けれども選手のみならずチームスタッフ、関係者の皆さんの紹介などにより、全国からトップアスリートが受診され、たくさんの経験、勉強をさせていただき現在に至っております。
その後、開業直後の東海水害によるクリニック水没やスポーツ医・科学研究所の閉院など数々の困難がありましたが、ただその時に勇気をくれたのが滋賀医大同級生、後輩、関係者の皆様でした。特に一期生のクラスメートは定期的に集まり、「若鮎会」と命名した小さなクラス会・ゴルフコンペなどを開催しており、卒後40年以上経て現在も続いております。今後も引き続き滋賀医科大学卒業生の誇りをもって学生時代からの良い思い出とともに頑張っていきたいと思います。
簡単ではありますが、私の経歴を述べさせていただき、御礼の挨拶とさせていただきました。ありがとうございました。