仲川 『教育領域、臨床・福祉領域』

  湖医会賞を受賞して

    猪飼 秋夫

    医8期 静岡県立こども病院 副院長 )



 この度は、栄えある湖医会賞を賜り、大変光栄であります。またご推挙戴きました井上慶郎先生、また選考下さいました幹事の先生方に改めて感謝し、御礼を申し上げます。

 私は昭和63年に大学を卒業し、今年卒業30年の節目になります。卒業後すぐに母校を離れ、母校の発展を噂に聞き、何かお役に立てないかと思っておりました折り、奇しくも昨年心臓血管外科学講座浅井徹教授のご高配により、非常勤講師として講義をさせていただき、今回このような名誉ある賞を賜り、母校との深い縁を改めて感じています。

 さて、私の専門は小児心臓外科です。小児心臓外科を目指したきっかけは、4年生の臨床講義の中で、当時の第二外科森渥視教授の算数の問題を解くように理路整然とした理論的な講義に興味を刺激されたことから始まります。大学卒業後、京都大学心臓血管外科伴敏彦教授の医局に入局しました。大学の2年間の研修中は、先天性心疾患大好きオーラを発し続け、念願叶って静岡県立こども病院への赴任を命ぜられました。偶然か必然かはわかりませんが、自分の目指したい事を示すという姿勢が功を奏しました。

 静岡県立こども病院、二人のmentorに会いました。一人は横田通夫先生、もう一人は現在のこども病院院長の坂本喜三郎先生です。若輩の私に必ず先生の敬称を付けて呼んでくださる横田先生からは、医師としてどんなことがあっても患者から逃げ出さない姿勢、そしてすべての人から教えを授かることが出来ることを教えて頂きました。坂本先生には、未来を見据えた上で今を生きる姿勢、患者の為に深い洞察力で治療を構築する考え方を今も教えて頂いています。偶然が重なり、30代半ばで一人で手術させて頂く機会を得、この世界で生きていく覚悟が出来ました。

 小児心臓外科の世界は決して広くなく、その道を歩むにつれ、患者の為に最善を尽くすためには、世界一流の外科医の技と考え方を身につけなければ道は極められないという思いが強くなりました。大学に帰学し、海外留学の足がかりとなる学位研究を行うことを決め、誰もやっていない先天性心疾患の手術モデルの実験を行いました。このモデルのデータを携えて、日本人が誰も留学したことのない米国UCSFのDr Hanley,Dr Reddyの元に何度も足を運び、最終的に研究臨床留学の約束を取り付けました。

 留学してすぐ、このteam全体がStanford大学に移籍しましたので、奇しくも名門Stanford大学で働くことになり、最初の2年は研究、後の1年半は臨床を行いました。外科医として臨床経験を積むことが最終目的でしたので、研究で足跡を残すために2本の論文を仕上げつつ、その時に備え、研究の間も朝6時からのfellow roundにずっと参加していました。臨床では、Dr Hanleyは極型ファロー四徴症、主要体肺側副血行路に対するunifocalizationという日本ではまだ行われていない手術を世界で最も多く行っており、その技術を取得することを目標としました。臨床での驚きは、その技術もさることながら、外科医である彼らが教育者の姿勢を貫いていることでした。若手医師に難易度の高い手術を教えることは非常に難しいのですが、fellowに手術をさせ、lectureを行うという教育者の姿勢が、彼の地のmentorにありました。またどんな質問にも答えてくれるという環境がそこにあり、やらせて育てる教育で自らを育てて頂き、教えられることが名誉であると感じられたことは非常に有意義でした。

 留学後、一旦静岡県立こども病院で働いた後、縁があり、岩手医科大学に小児心臓外科部門の責任者として赴任しました。岩手では、4人のmentorからの教えから、unifocalizaitonの技術を確立し、患者の為に最善をつくしつつ、やらせて育てる教育を実践することを目標としました。

 幸い優秀な岩手に巡り合え、10年間で独り立ちできる外科医として育てることが出来ました。しかし私の現役として残された期間が10年となり。もっと多くの外科医を育て、まだ為し得ていないunifocalizaitonの技術を確立するための環境を求めて、岩手を辞し、静岡県立こども病院に戻るという決断をいたしました。ここでも馬鹿正直に自分の目指したい事、遣りたいことをやるという姿勢を貫きました。

 外科医を育てることは難しいことです。医療を継続させるためには、次世代の中から育てる対象となる人を見つけなければなりません。そのためには自分の興味があることを分かり易く人に伝え、如何に共感を得られるかが大切だと思います。また指導する外科医として、患者に対しての責任に如何に対峙できるか。そこには知識と経験の裏付けが必須ですし、患者、疾患への深い洞察力が必要となります。命に直結する心臓外科という仕事の頂はまだまだ先ですが、技術のみならず人を育てられる外科医を目指して、今回の受賞を機に更に精進させて頂きます。栄誉ある賞を賜り誠にありがとうございました。

    【プロフィール】
1988年 3月
滋賀医科大学医学科卒業
1988年 6月
京都大学病院 心臓血管外 研修医
1990年 4月
静岡県立こども病院 心臓血管外科 勤務
1998年 8月
京都大学医学部附属病院 心臓血管外科 医員
2000年 4月
京都大学医学部附属病院 心臓血管外科 助手
2001年 6月
    
University of California San Francisco, Department of Surgery, Division of Pediatric Cardiac Surgery Post doctoral Fellow
2001年11月
Stanford University, School of Medicine, Department of Cardiothoracic Surgery, Postdoctoral Fellow
2003年 5月
京都大学医学部附属病院 心臓血管外科 退職
2003年 7月
Stanford University, School of Medicine, Department of Cardiothoracic Surgery,
Division of Pediatric Cardiac Surgery, Clinical Insteuctor
2004年12月
静岡県立こども病院 心臓血管外科 医長
2007年 1月
岩手医科大学 医学部 心臓血管外科 講師
2010年 4月
岩手医科大学 医学部 心臓血管外科 准教授
2015年 1月
岩手医科大学 医学部 心臓血管外科 講座内教授
2017年 6月
地方独立行政法人 静岡県立病院機構静岡県立こども病院 副院長 心臓血管外科長
現在に至る