角野 『臨床・福祉領域』

  ある公衆衛生医の独り言
    ~「小医」から「中医」へ

    

    角野文彦

    (医6期生、滋賀県東近江地域振興局地健康福祉部長)



 今年度の「湖医会賞」を受賞させていただきますことに感謝を申し上げます。今回を含めて受賞者の方はほとんどが臨床現場や教育現場で活躍されている方々です。私のような行政分野からの受賞は初めてではないでしょうか。医学部を卒業して公衆衛生分野に進むものは教育職、研究職を含めても1%前後に過ぎず、極めてマイナーです。そんなマイナーな分野から選んでいただいたことを、非常に光栄に思うとともに驚きを禁じ得ませんが、同じ分野で活躍する仲間にとって大きな励みになることを願っています。

 マイナーといってもそれはあくまでも直接従事する数が少ないという意味のマイナーであって、中身はメジャーだと思います。なぜなら「公衆衛生」は憲法第25条や医師法第1条に出てくる非常に大きな意味のある言葉だからです。憲法第25条では国民の生存権を保障し、それを担保するためには、「国はすべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上および増進に努めなければならない」と書かれています。国はその義務を果たすために、様々な施策を考えていますが、その一つが医師法です。第1条で医師の任務を次のように定義しています。「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、国民の健康な生活を確保するものとする。」すなわち、国は国民の生存権を保障する義務の一翼をわれわれ医師に課しているわけです。これを承知で医師資格を取り仕事をしている人がどれくらいいるでしょうか。そう言う私も仕事を始めるまで知りませんでしたが・・・。

 このように大きな意味を持つ「公衆衛生」という言葉が近頃は「地域保健」という言葉に置き換えられる傾向にあります。しかしこれは間違いで、「地域保健」は「公衆衛生」の一部であって、イコールではありません。ヒポクラテスが考えたように、自然環境や生活環境を含んだものが「公衆衛生」であり、我が国においても一昔前まではこの広義の意味の「公衆衛生」を(行政)医師が担っていました。しかし、今では機能分化が進み、様々な職種の人がそれぞれの得意分野の中で公衆衛生活動をしています。では、今の医師は何をすればいいのか。高度な医学研究とそれによるところの診断及び治療方法の確立は当然なされるべきことです。しかし、大半の医師が行うべきことは「地域保健・医療」です。

 「地域保健・医療」をするとは「小医」ではなく「中医」になることです。人々は病気にならないことを願い、病気になっても治ることを望みます。それは健康に生きたいからではなく、人生を豊かに過ごしたいからです。人生の目的は健康ではなく、QOLの向上です。小医は人々の健康のお手伝いをしますが、中医は人々が願う豊かな人生を支援します。全ての病気が予防可能であり治せるのならば、小医だけで十分ですが、現実はそうではありません。不治の病や一生障害を伴う病気はいくらでもあります。しかし、社会環境によってたとえ病気や障害があっても豊かな人生を送ることはできますし、我が国は少しずつですがそのような環境が整いつつあります。この環境を知り、それを利用するのが中医です。

 地域にどのような制度・サービスがあり、人々の生活を支えるどんな職種の人がどこにどれだけ存在しているかを知ることで十分です。この環境の中に身を置いて、患者さんをこの輪の中に導けばそれでいいのです。輪の中心は患者さんであり、決して医師ではありません。医師は専門性を十分に発揮して他機関、他職種の人たちと連携を持って、患者さんの人生を支えるのです。このような中医を育てる卒前教育が滋賀医大で行われ、滋賀医大の卒業生が我が国を変えてくれることを期待いたします。

 最後になりましたが、私を育ててくださいました小児科学教室の島田前教授はじめ同教室の諸先輩、滋賀医大の先生方に厚くお礼を申し上げます。

    【プロフィール】
1986年 3月
滋賀医科大学医学科卒業
1986年 6月
滋賀県彦根保健所勤務ならびに滋賀医科大学附属病院小児科研修医
1992年 4月
滋賀県今津保健所保健予防課長
1994年 4月
滋賀県健康福祉部健康対策課技術補佐
1996年 7月
~1998年12月
国際協力事業団(JICA)へ出向し、ケニア国での「ケニア感染症研究対策プロジェクト」に
プロジェクトリーダーとして赴任
1999年 4月
彦根健康福祉センター副所長(彦根保健所長)
2001年 4月
滋賀県長浜保健所長
2006年 4月
現職(滋賀県東近江地域振興局地域健康福祉部長(東近江保健所長)
現在に至る