垰田

第1回「湖医会賞」を受賞するにあたって

  垰田 和史

  (医3期生、滋賀医科大学 予防医学講座助教授 )



 このたび第1回「湖医会賞」いただくことになり、身に余りすぎる光栄と思って います。私が母校の教官として教育にかかわるようになってまだ12年たらずしか なく、「湖医会賞」に相応しい教育活動ができているとは思えません。今回の受 賞は、同窓会が母校の教育活動に並ならぬ関心をもって注目していることの証で あり、私にとっては「一層の努力をせよ」とのご鞭撻であると解釈させていただ き、慎んでお受けいたします。

 私は母校を3期生として卒業し、市中病院で一般内科医としての研修を行い、そ の後、呼吸器を中心とした内科医として勤務した後に、疾患を予防するための医 学を学ぶために大学院生となりました。

 大学院に入学した80年代の後半は日本社会が「バブル」景気に浮かれ、人権を保 障する医療や福祉の社会的な役割を軽視する風潮が広がっていたように思いま す。学生と一緒に社会医学系の講義を聴いても、出席する学生も少なく無反応に 授業が終わっていきました。ある時、授業の進め方について教授から意見を求め られ、「学生の討論」による参加型の授業を提案したところ、実際に1コマの授 業を担当することになりました。私は「ある障害者施設の暗黙の入所条件として 子宮摘出がなっており、その手術を行っていた大学教授や親や施設の言い分」を 取り上げた新聞記事を事前に配付し「討論型授業」に挑みました。結果は、当然 ながらうまくいきませんでした。討論にならないだけでなく「大学教授」の立場 を弁護し新聞記者を攻撃する意見や、「他人の世話になって生きて行かなければな らない障害者は少しぐらい我慢しなければならない」という意見が幾つかのグル ープから出され、反論もなく授業が終了しました。私は最後に「誰の口からも人 権という言葉がでなかったことの驚き」を感想として述べました。授業後提出さ れた学生のレポートは「人と異る意見を言っても喧嘩にならないことがわかっ た」「自分の意見を他人に言ったことがなかった」「障害者と接したことがない ので、障害者の人権と言われても実感が湧かない」「知らない間に医者の立場で しか物が考えられなくなっていた」などの感想とともに、新しい形式の授業を高 く評価するものとなっていました。この授業が私の「医学教育」への入門となり ました。

 この授業を通じて、学生の社会経験が極めて貧困であること、他人の意見を聴き 自分の意見を述べる経験が乏しいこと、人権や倫理について系統的な教育プログ ラムが無いことを認識することができました。また、何よりも教官側の学生の現 状理解が不十分であることを反省することができました。社会医学系の講座では こうした教訓を踏まえて、翌年より3学年の授業開始にあたり、地域医療施設、 高齢者・障害児者福祉施設、精神保健施設、保健行政機関なを訪問し現場での見 聞をもとに討論交流会を行い、社会医学の学習動機を形成させるプログラムに取 り組むようにしました。また、専任教官が空席となりその存続が議論されていた 医学概論についても、1992年より社会医学系の講座がコーディネートを担当し、 入学早期時より社会経験の機会を広げ、お互いの意見を交し、学生が能動的に参 加できる授業形態を試行してきました。特に、夏休みの時期には学生が参加でき る体験実習を学内の諸講座や学外の諸機関の協力を得て準備し、3日から4日間 学生が実習に参加する「早期体験学習」に取り組みました。現在では、障害児の サマースクール、高齢者福祉施設、障害児・者福祉施設、地域医療機関など20を 越える施設や企画が「早期体験学習」の場として提供されています。協力してい ただいている施設の中には医療機関だけでなく、教護院や児童相談所など従来は 医療と直接関係を持たなかった場所も含まれており、学生の視野を広げる機会と なっています。

 医学部に入学する学生について「学力」は入試にによって一定水準を保てても、 人間性や倫理観など患者が医師に求める基本的素養については教育を通じて涵養 する以外に方法がありません。このことは我が国だけでなく世界の医学教育の大 きな課題となっています。日々の診療や研究を通じて同窓生が築き上げてきた医 学医療に対する社会の信頼を守り発展させることができるよう、今後も学生とと もに努力していきたいと思います。最後に私の教育活動が福祉保健医学講座、予 防医学講座の教授をはじめとするスタッフの指導の下に、多くの方々の協同作業 としておこなっていることを記してお礼申し上げます。