【プロフィール】
1992年3月   滋賀医科大学医学部医学科卒業
1992年6月   杏林大学付属病院救急医学教室入局
1993年3月   杏林大学付属病院救急医学教室退局
1993年6月   スリランカを中心に1年間ボランティア活動・
       フィールドワーク(インド・ネパール・パキスタン)
1994年9月   佐久総合病院研修医
1996年5月   長野県厚生連下伊那診療所出向
1999年4月   佐久総合病院地域ケア科
2002年4月   佐久総合病院地域ケア科医長
2008年4月   佐久総合病院副診療部長、佐久総合病院老人保健施設副施設長
2009年4月   岡山大学大学院医歯薬学総合研究科、疫学・衛生学分野 非常勤講師(兼務)
       現在に至る

北澤



『臨床・福祉領域』
北澤 彰浩
(医12期生、JA長野厚生連佐久総合病院
                      佐久総合病院副診療部長・地域ケア科医長)

「医療の民主化」をめざして


     
 この度は第11回湖医会賞を授与いただき、身に余る光栄と心より感謝致しております。
 御推薦頂いた、堀出直樹先生、大村寧先生または選考委員の諸先生方には心より御礼申し上げます。
 表題の「医療の民主化」は、私が現在働いている佐久総合病院の故若月俊一名誉総長の言葉です。若月先生はこの地で「医療の民主化」を実現するために昭和20年から約60年間活動をされました。若月先生は農村医学を確立し日本農村医学会うぃ設立、日本全国に先駆けて予防のための集団健康健診を開始等の業績でアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞されました。しかし、その先生が退職の時に言われたのは「私はこの地の医療の民主化を2割か3割しか実現できなかった。」というものでした。若月先生をして2割か3割と言うことはそれ以上にするのは困難であることを自覚しつつも、若月先生がめざされた目標を少しでも進めることが、佐久総合病院の使命だと考えるようになりました。そこで、おこがましくも私も自分が出来る範囲で「医療の民主化」をめざそうと活動しています。
 私が行っているのは在宅医療です。そして、在宅医療を通して「医療の民主化」のために「医療の定義」を変える運動や「死生観に多様性」を認めてもらう運動を行っています。訪問診療は基本的に月1回です。原疾患は脳血管障害や認知症が多く最近はがんも増えています。いずれの方も予後は厳しい状況であり訪問診療は単に臓器や疾患を診て病状を安定させるだけでは全く意味がなく、その方の今までの人生を含めた人となりを理解した文字通り「全人的」な関わりを求められます。そして、その方の最期のの時をその方が望む形にしなければなりません。そのためには、死ぬ前に自分の最期のことを考え、家族に伝えることが出来る環境をつくらなければいけません。最期場所を病院と考える方の希望を叶えるのは簡単ですが、自宅を考えておられる方の希望を叶えるのは困難です。というのは、在宅死を叶えるには終末期における日本人の死生観が影響しているからです。日本では「死」を敗北と捉える考え方が大半を占めています。つまり「死(敗北)はどのような状況下においても極力避けるべきであり、「一分でも一秒でも長生きする」事が大事と考えています。そうすると、当然充分な医療処置の行える病院の方が在宅より「一分でも一秒でも長生きする」ことを叶えるので人は病院での最期を選びます。しかし、病気になった時に本当に最期を病院で迎えたいと思うかは私が関わった患者さんの経験からは決してそうではありません。可能なら在宅でという方が多いのですが、「死」を敗北と捉える状況下では家族が本人の希望により日本人の大半を占める死生観に従っているように思えます。以上のことから私は、「死」を「敗北」と捉えるのではなく「人生の集大成」と捉えるべきだと考えます。そして、ただ単に「一分でも一秒でも長生きする」ことだけが重要ではなく、人らしい死(集大成)を迎える」ことがその人の最期にふさわしい満足死になるという考え方があってもよいのではないでしょうか?そして、この考え方が日本の多くの方に死生観のひとつとして受け入れられるようになればと考えます。
 そのためには現在の「医療の定義」を変えないといけなくなります。現在の医療の定義は広辞苑によると「医術で病気をなおすこと」です。だからなおらない結果の死は敗北なのです。つまり、新しい医療の定義を「人にその人らしい人生で過ごしてもらうために医術で病気をなおすこと。ただし、なおらない病気の時は最期までその人らしく生きていただくために寄り添い支えること。」と変えると、死は敗北でなくなります。
 「医療の民主化」とは「人が人らしく生きるために身体を自己管理し、周りの人はその人がその人らしく生きられるようにそれぞれの立場で見守り寄り添い支えること」です。そのような世の中になって初めて人は「自分たちの健康問題を自分たち自身で取り上げ、自分たち自身で解決の道を探れるようになる」のではないでしょうか?
 最後に、今回の受賞は職場と地域の多職種の仲間と地域住民の皆様のおかげと感謝しております。そして、そんな時も私のことを支えて助けてくれた私の家族にも心から感謝したいと思います。皆様、本当に有り難うございました。